
































ポストアンドビーム
2012年は趣味と特技を活かして山小屋を建てている。ログ(丸太)を使うが、横に寝かして積むのではなく、
Post(柱) and Beam(横架材)という工法、実際には日本で一般的な在来軸組工法で建てている。

生コン完了
2012年8月27日、ようやくコンクリートを入れる作業が終わった。4回の合計で
20.25m3。圧送車3回を含めて約50万円。
当然、コンクリートは時間とともに固まってしまうので、毎回午後いっぱい休
み無しで作業をする事になってしまう。それに段取りと片付けにも手間が掛か
る。
できた基礎を見ても地味だが、温かく、丈夫な基礎ができたはず。

山小屋の基礎工事
2012年は趣味で山小屋を建てる。私が考える最大の難所は基礎用コンクリート
を流し込む作業。一気に人手が要るはず。
早ければ6月末から何日か毎に、捨コ4.25、底盤4.25、立上6.5、床下土間6.75
m3を調達する。特に底盤と立上は複数日に分ける事ができないので、m3と同数
かその倍の人手が欲しい。スカート断熱も取り入れたがあとはどうするか。

| 開始日 | 日の出(札幌) | 日の入り(札幌) | 東町での作業 |
| 09月16日(日)〜 | 05:15 | 17:43 | 2階管柱 36本、累計160本 |
| 09月09日(日)〜 | 05:07 | 17:56 |
2階床梁 6本、累計124本 胴差 17本、累計118本 |
| 09月02日(日)〜 | 05:00 | 18:08 | 1階管柱 19本、通柱 12本、累計101本 |
| 開始日 | 日の出(札幌) | 日の入り(札幌) | 東町での作業 |
| 06月24日(日)〜 | 03:56 | 19:18 | 設計図書の調整 |
| 06月17日(日)〜 | 03:55 | 19:17 |
プレカット材発注(土台・大引・2階床梁) 設計図書の調整 |
| 06月10日(日)〜 | 03:55 | 19:13 | 設計図書の調整 やりかたの準備 1階管柱 8本、累計70本 |
| 06月03日(日)〜 | 03:57 | 19:09 | 1階管柱 12本、累計62本
* プレカット材について、(株)旭川プレカットセンターさんと打ち合わせ、金物はナックルを使う事とした。外壁はモルタルではなくサイディングボードに変更。基礎はスカート断熱として、900から400へと浅くした。 |
| 05月27日(日)〜 | 04:01 | 19:03 | 1階管柱 3本、累計50本
2階床伏の横架材を仕上長さに切断、みなし梁せい(幅120の高さ)を確認〜クレテック金物のサイズを確定。 やりかた用の水杭等を用意。 * 詳しい寸法が未確認だった2階床伏図ですが、実際の値(梁せい)を確認し記入しました。これに伴いクレテックという金物のサイズも決めました。 丸太の梁せい確認というのは、丸太の断面を出して、成長が多い方を下にして丸太を固定、 末側断面で鉛直線と120mm幅のみなし梁幅を書いて、その時にできる高さを測る(心の上下それぞれ)、 そして丸太は固定したまま、元側も心から同じ断面を書く。という作業になります。 ![]() |
| 05月20日(日)〜 | 04:06 | 18:56 | 小屋桁 4本、累計47本
|
| 05月13日(日)〜 | 04:13 | 18:49 |
小屋桁 2本、累計43本
* 雨じまいを重視して軒は、当初予定の455から、800程度へのばす。棟・母屋・桁は既に加工済だが、添木をしてのばす。 そして、これは作業時間が掛かるので決断に悩んだところだが、外壁に接する柱とすじかいは外面1面を平らにし外壁に埋める。外壁に接する通柱は壁側2面を平らにする。 |
| 05月06日(日)〜 | 04:22 | 18:41 | 小屋桁 2本、累計41本
* すじかいについても丸太を用意していたが、これについては、壁に隠れる(大壁)にする。 特に冬の北海道では寒暖の温度差が大きく、その両面に接する材としては厳しい環境。 壁との隙間ができるのはわかっているが、その対応を少しでも減らすのが目的。 * 確かに15mmは浅くて心配だなという思いはあり、受ける部分はできるだけ大きく とるようにしています。この写真はちょうど小梁を受ける部分も写っています。こういうふうに、で きるだけ落ちづらいようにします。 ![]() 軒の長さも気になっていたのですが、455だったところを800(か800弱)にします。た ぶん、軒先から910入ったところから面積というのもあったと思いますので、910 に。とも思いCADで試してみましたが、少し窓に掛かりそうなのと、垂木が3640 を超えてしまいそうなので、800にします。 問題は、特にのばすべき棟・母屋・軒桁を、455に合わせて切ってしまっている 事です。であれば、延長する金物を作る事にします。棚板を受ける金物のような ものをつくってみます。 すじかい等は、見せる為に出したいのですが、外壁に入角ができないように気を付けます。土台 は正角材を使い外壁で覆いますが、すじかいの下の方も削って外壁で覆います。 「とにかく雨仕舞にはかなり気をつけた方がいい。」確かにそうだと思いますので、もっと考えるようにします。 |
| 04月29日(日)〜 | 04:31 | 18:33 | 小屋梁 5本、累計39本 * すじかい(45×90、たすき)を、より表に出すには、交差する部分に合板(455×910)を挟めば良いですね、その方が強くなりますし。断熱材との取り合いがどうかなという心配はあります。 |
| 04月22日(日)〜 | 04:42 | 18:25 | 小屋梁 12本、累計34本
* 丸太部分の接合方法についてですが、丸太らしい組み方は無いかもしれません。 継手と仕口については次のようにしています。いずれも組んだ後にボルトで引い て固定しようと考えています。 棟の継手は追掛大栓継、母屋の継手は腰掛鎌継。いずれの横架材も幅120の断面 を見出して、丸太毎に高さを決めています。左右の中心は丸太の中心。育ちが大 きい側が縮むと見込んで下にしています。 小屋束と横架材は30×90×90の長ほぞ、但し、2階管柱と当たるところは長さを 半分ずつ分け合う。横架材は材毎に高さを決め、鉛直材はそれに応じた長さにし た。ほぞを作る前に、横架材と鉛直材が120以上×120以上の面が接するように加 工。小屋束や管柱は、丸太の中心を中心として120×120を見出す。育ちが大きい 側が縮むと見込んで、育ちが大きい側を建物の外側にしています。 小屋桁同士は腰掛鎌継。梁は、梁と高さを揃える事として切断済。大入鎌継にし ようとしています。但し、桁の受ける部分は30mm以上残すようにします。梁の長 さは120mm幅の桁に15mm掛かるようにします。梁は、桁の心から240mmのところま で(手作業で)製材します。桁にとっては120mm幅の梁が入って来るようになりま す。 2階床伏では、桁と梁の仕口を金物で行ないます。というのは、3尺の格子を組む にあたり1820や910のプレカット材を使おうとしているからです。金物のまだ選 定に取り掛かってはいません。 通柱と胴差は用意してある丸太同士なので、通柱を160角とみなして、傾ぎ大入 短ほぞ差しにしようと思っています。 土台と大引については全てプレカット材を買います。通柱と土台の仕口はどうし ようか、悩んでいます。というか、通柱の下側は、ほぞ用120mmを残しておきプ レカット側と相談をします。 すじかいは、910幅のところ複数か所に入れますが、丸太を縦切したものをたす きで入れます。断面において45×90が含まれるようにします。あまり細いと壁に 埋まってしまい、丸太を見せようという思惑も埋まってしまいそうです。丸太の 縦切は大きな丸鋸でできそうです。 火打や床束は鋼製品を買って使います。 |
| 04月15日(日)〜 | 04:53 | 18:17 | 小屋束 8本、累計22本 |
| 04月08日(日)〜 | 05:05 | 18:09 | 小屋束 8本、累計14本 |
| 04月01日(日)〜 | 05:17 | 18:01 | 母屋 2本、累計6本 |
| 03月25日(日)〜 | 05:29 | 17:53 | 母屋 2本、累計4本 |
| 03月18日(日)〜 | 05:42 | 17:44 | 丸太は、電気かんなで表面ならし-墨付-刻みという作業になります。棟 2本 * 基本的には在来軸組み工法で、横架材は120mm幅の材とみなしています。通柱に ついては、細いものの末口を図ったところ160mm角は確実にとれるかなと思って います。 |
| 03月11日(日)〜 | 05:54 | 17:36 | 丸太へ使用位置記入 |
| 03月04日(日)〜 | 06:06 | 17:28 | 丸太へ使用位置記入 |
| 02月26日(日)〜 | 06:17 | 17:19 | 丸太の振り分け、丸太へ使用位置記入 |
| 02月19日(日)〜 | 06:28 | 17:10 | 丸太の振り分け、丸太へ使用位置記入 |
| 02月12日(日)〜 | 06:38 | 17:00 | 丸太の寸法確認、丸太の振り分け |
| 開始日 | 日の出(札幌) | 日の入り(札幌) | 塩狩での作業 |
| 年末〜年始 | 外壁工事・電気工事・断熱工事・建具まわり工事・内装工事 | ||
| 秋〜冬 | 屋根工事・造作工事 | ||
| 08月12日(日)〜 | 04:37 | 18:42 | 木工事 |
| 08月05日(日)〜 | 04:29 | 18:51 | 木工事 |
| 07月29日(日)〜 | 04:22 | 19:00 | 衛生設備・給排水設備工事 |
| 07月22日(日)〜 | 04:15 | 19:07 | 基礎工事 |
| 07月15日(日)〜 | 04:09 | 19:12 | 地業・基礎工事 |
| 07月08日(日)〜 | 04:03 | 19:16 | 根切り・土留め |
| 07月01日(日)〜 | 03:59 | 19:18 | 根切り |
| 06月24日(日)〜 | 03:56 | 19:18 | 仮囲い、地なわ張り、やりかた
6月22日〜土地の賃貸契約 |
外観
食堂・談話室
食堂・談話室
寝室 とまと 2名(内1名が寝台上段)
寝室 じゃがいも 2名(内1名が寝台上段)
寝室 とうきび 3名(内1名が寝台上段)
寝室 きゃべつ 4名(内1名が寝台上段)
寝室 じゃがいも 特別室(洗面所・便所付) 3名
塩狩温泉 「和寒町百年史 2000年発行 和寒町 著」より引用
1974年、現在の建物を新築し、同時に塩狩荘から(株)塩狩温泉観光ホテルに改称、本町唯一の温泉ホテルとして盛業を続けている。
創業は、1921年ころに発見された鉱泉を、岡貞義が1923年に湯治場を建てたことに始まる。以来、宗谷線では数少ない温泉で、胃腸病、婦人病、皮膚病に効くと評判を呼び、老若男女の入込みで賑わいをみせてきた。
長く社長を勤めてきた伊藤善弘に代わり、入江公郎が社長となり、塩狩地区の観光化、また、工夫をこらした経営によって入込客の拡大につとめている。
温泉の人気はもとより、一目千本桜の開花期には、桜を楽しむ客も多くなって来ている。現在のホテルの規模は、30室、宿泊80人となっているが、1974年開設のユースホステル、5室、30人とあわせ110人の宿泊が可能である。
しかし、近年は各市町村が地域の振興を図るために、公営のホテルなど宿泊施設を経営するケースが増加し、宗谷線にあってもそれぞれが豪華な建物を建築し、集客に努めている状況にあり、今後の塩狩地区の一層の観光開発を進め、魅力ある地域づくりの推進が必要となろう。
塩狩温泉 「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用
1923年創業(岡貞義)の湯治場として知られ、1957年経営が(株)塩狩荘(伊藤善弘社長)に移り全面的に改築され、1974年には近代的な観光ホテルに改築(宿泊人数150人)、国道49号線沿いにユースホステルを新築(宿泊人数100人)同年社名を(株)塩狩温泉観光ホテルと改称した。広い前庭は樹種多く、大小7つの池にはコイ・ニジマス・金魚が飼われ、釣り・ボートが楽しめる。
泉質は酸性泉・緑ばん泉・ラジウム泉で、胃腸病・婦人病・皮膚病などに効く。
塩狩温泉の由来 「和寒今昔物語 1975年発行 藤田明郎 著」より引用
天塩の国と石狩の国の国境い、「塩」と「狩」をとっての塩狩は、かつては峻(山へんに険のつくり)地として、アイヌ達もマタルクシュ、ケネフチと称し笹や雑草すべてが活動を中止、雪の下で冬眠する冬季のみ利用する冬の交通路として利用されていた処である。
1899年鉄道が敷設され、1916年にはこの峠に信号場が設置された。上り下りの汽車は夫夫ここで一息ととのえて石狩の国へ或は天塩の国へと下っていったのであろう。
温泉発見の動機は、1921年放牧中の牛が泉源の溜水を好んで呑んだとも云われるし又逆にそこの水だけ呑まなかったので不思議に思い鑑定の結果、鉱泉と判明したとも云われている。(伊藤善弘氏談)。
発見の動機についてはあまり明確ではないが牛追う牧童の手によったことだけは明らかである。
1923年、岡貞義氏はここに湯治場を開き1925年6月には塩狩温泉として、塩狩旅館と湯治館が完成し、前者は上客を後者は湯治客を迎えたのであろう。
同温泉は、塩狩駅から旭川方面に約100メートルの地点に涌出る緑ばん泉と現浴場から国鉄線路に向って約50メートルの地点に涌出る酸性泉の二つの鉱泉によるものである。
創設当時は涌出た地点に溜水(木枠によるものであろう)を作り、浴場のボイラー地点近くに又溜水場を作って、両者を鉄管ならぬ青竹によるパイプで結び延々二百メートルの地点から緑ばん泉を引いたのである。
溜水を手押ポンプで汲み上げたと云うからその労働力は大変なものであった。当時のお湯は濁っていた(手押しポンプの為にお湯の交換に時間がかかったり、ボイラーのさびとか垢で濁っていたのであろう)が皮ふ病(ガンペとかガンベと呼ばれた)によくきいたのでガンペ温泉と呼ばれた。
施設、設備はお粗末なもので、浴槽は木枠、洗い場は木の床であった。温かいお湯を慕ってかみみずが這いずりまわっていた(伊藤善弘氏談)。
みみずとの共同入浴が興をそそってか、皮ふ病患者の評判からか1926年の塩狩駅の乗降客は約9300人をかぞえるに至った。
温泉の効用範囲については数多くあるが和寒おんどで唄われている「中でも胃腸と婦人病」とか皮ふ病にはよくきくのである。鉄道の保線に働く人たちがうるしに罹った時は緑ばん泉の涌き水をつけただけでなおったと云われている。
「我が郷和寒」は1928年5月の塩狩の模様を「塩狩駅頭車窓より、程近く新館の桜、塩狩旅館は前庭をめぐらして配する花園あり、物売る店自炊に手軽な宿もあれば、浴場はすぐに続いている。各種の主成分を含んで酸性泉である。脳神経衰弱症、ヒステリー、神経痛、ロイマチ、貧血、打撲傷、子宮病、胃腸疾患など効能顕著を以って好評を博し、常に浴客に賑わっている。旅館は設備整い、料理はうまく、もしそれを美妓を具して、月見の逍遥とでも洒落せんが、国境の秋は済んで確かに恍惚として天外に飛ぶであろう」と当時の経営者岡貞義氏は、現塩狩前庭の規模程度をイメージとして持っていたのであろう。前庭大木の多くは創設者岡氏の手によるものと云われている。この老木大木のみが塩狩温泉の半世紀以上にわたる歩みを見守り続けたもので真実を語るにふさわしいのである。
和寒音頭 (1965年公募決定)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用
1 ハアー 温泉(いでゆ)塩狩 桜に紅葉(もみじ) 渓谷(たに)の清水に 色よく映えて 招く湯の香も なつかしや
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 住みよい町よ
2 ハアー 青葉若葉の 峠をこえて 夏のなかばに 雪かと見れば あれは名産 除虫菊
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ たからの町よ
3 ハアー みのり豊かな 黄金の波を うつす湖水に テントを張れば 名残りつきない南丘
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 明るい町よ
4 ハアー 走れいなずま 飛ばせよスキー 銀のスロープ 粉雪けって 若いこだまが 呼びかわす
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 楽しい町よ
5 ハアー 町は栄える 年ごと日ごと みんな輪になれ 和寒音頭 そろう手拍子 足拍子
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 希望の町よ
和寒小唄 (1926年頃〜)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用
和寒よいとこ好きなとこ 塩狩温泉あるところ
よろずの病に良けれども わけて胃腸と婦人病
和寒よいとこ好きなとこ ペオッペの山から金が出る
お金に困ったその時は 家族そろって砂金堀り
和寒よいとこ好きなとこ 七月土用に雪が降る
雪が降るとはそりゃ嘘よ 黄金花咲く除虫菊
和寒除虫菊宣伝歌 (1923年頃〜)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用
塩狩の峠越ゆれば 和寒村よ
広い天塩の玄関で 日本一の菊の村
花のさかりを見においで-
野も山も雲か霞か はた雪か
見まごう程に咲き揃う 色香床しき除虫菊
産地は名代の和寒村-
花の山いざ見に来やんせ 和寒村へ
色は真白に香も清き 花は国産除虫菊
効き目は偉大なダルマシヤ-
除虫菊小唄 (1923年頃〜)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用
夏を訪ねて えぞ地をとわば トコセ
匂いこぼれて わしゃ咲きそろう
ハ チョイトサ トコ除虫菊
ヨイヤマタ ソヤリャントセ
(2節以下同じ)
咲いた揃うたよ 品浴よく揃うた
去年の今日より わしゃ待ちかねて
主を待つ間の しんきな夜は
蚊遣りともして わしゃまぎらせる
咲いたわたしは あなたのままよ
連れて行くなら アメリカまでも
Saturday, December 14, 2013