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* 当館のお風呂は温泉ではありませんが、当館は塩狩温泉再興させる為に踏み出した一歩です。2013年06月07日現在、私は次のような構想を持っています。

和寒町郷土資料館を、2015年(平成27年、分村100年)頃、塩狩某地(面積:約2町)に移設、塩狩温泉を歴史の一つとして、夏の足湯等を実施する。


温泉開発は今後の課題

世間の期待は充分。標準的な開発工程も次項の通りわかっている。あとは、どのようにして投資と回収を釣り合せるかが課題。 仮に、次項の1545万円を4%で借りて8年返済だと、月20万円(年240万円)の支払いが必要になる。毎年1000人の利用者で分担すると一人当たり2400円。都度必要な費用を500円と仮定すると、入浴料金は2900円、この場合、2900円でも構わないと思うプランを用意する必要がある。 一方、投資を200万円に抑えると、初めの8000人の分担費用は300円、入浴料800円となる。



【予備調査 15万円】地形や地質、既存鉱泉の資料等の文献資料調査を行う。これによって開発計画の可能性等を検討。鉱泉を掘削し揚水を行う為には、周囲の鉱泉や地下水の利用状況や地理的な制約等も関わって来る為、予め規制状況を良く知っておく事が必要。条件が悪いと判断すればこの段階で中止もしくは計画の変更。条件が良ければ一次調査の計画の立案へ。

【一次調査 30万円】地質や地下水の様子を調べる為の現地での野外調査や聞き込みを行う。これにより、岩質、帯水層の性質や分布、熱源、鉱泉水の循環の様子、鉱泉水の起源等についての検討を行い鉱泉開発可能地域の選定を行う。この調査で必要な期間や費用、リスクといったものもある程度明らかになる。

【二次調査 300万円】地質構造や断層、帯水層を推定する為の電気探査、地質境界、亀裂等を調べる為の電磁気探査や弾性波探査、基盤岩の形状や断層を推定する為の重力探査、潜在断層を推定する為のガンマ線による放射能探査、ラドン濃度分布による流況調査、リモートセンシングによる地下構造や地下資源の調査、地温や水温調査、電導度探査による水質調査等の精査を行う。その結果、推定した泉温や湧出量に基付く温泉掘削の方法や深度を決定する。

【鉱泉掘削 1000万円】掘削許可を知事に申請し許可を得る。200m掘削し構築物としての井戸を完成させる場合1000万円。

【動力揚水 200万円】掘削の結果、自力で湧出する能力が無い場合は、動力揚水(200万円)の必要があり掘削許可とは別に知事の許可。温泉利用許可は保健所。



北海道上川郡比布町、北緯 43.964836、東経 142.454599、塩狩から南へ約500mの辺りに、緑礬(りょくばん)泉が湧いていたという話がある。JR宗谷本線の28Kという標識から西へ50m降りた所、旧国道40号線からは東に90m降りた所がそれと思われる場所。距離は私が紐を使って測った。 少なくとも地元の5人からは過去に見たという話を聞いており、どなたも案内に自信があった。多くもなく、暖かくもないが、枡があるとの事だった。 その内お二方とは一緒に現場へ行ったが、土砂で埋まってしまったようで、思い当たる景色ではない。掘り返すにしても範囲が広い。土地の所有はJR北海道と思われる。 2009年6月、JR北海道の土地と見込んで、メール、画像、電話でJR北海道旭川保線所 総務助役 小枝(こえだ)様と相談をしたが、有力な情報は得られず。


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塩狩温泉 「和寒町百年史 2000年発行 和寒町 著」より引用

1974年、現在の建物を新築し、同時に塩狩荘から(株)塩狩温泉観光ホテルに改称、本町唯一の温泉ホテルとして盛業を続けている。
創業は、1921年ころに発見された鉱泉を、岡貞義が1923年に湯治場を建てたことに始まる。以来、宗谷線では数少ない温泉で、胃腸病、婦人病、皮膚病に効くと評判を呼び、老若男女の入込みで賑わいをみせてきた。
長く社長を勤めてきた伊藤善弘に代わり、入江公郎が社長となり、塩狩地区の観光化、また、工夫をこらした経営によって入込客の拡大につとめている。
温泉の人気はもとより、一目千本桜の開花期には、桜を楽しむ客も多くなって来ている。現在のホテルの規模は、30室、宿泊80人となっているが、1974年開設のユースホステル、5室、30人とあわせ110人の宿泊が可能である。
しかし、近年は各市町村が地域の振興を図るために、公営のホテルなど宿泊施設を経営するケースが増加し、宗谷線にあってもそれぞれが豪華な建物を建築し、集客に努めている状況にあり、今後の塩狩地区の一層の観光開発を進め、魅力ある地域づくりの推進が必要となろう。


塩狩温泉 「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用

1923年創業(岡貞義)の湯治場として知られ、1957年経営が(株)塩狩荘(伊藤善弘社長)に移り全面的に改築され、1974年には近代的な観光ホテルに改築(宿泊人数150人)、国道49号線沿いにユースホステルを新築(宿泊人数100人)同年社名を(株)塩狩温泉観光ホテルと改称した。広い前庭は樹種多く、大小7つの池にはコイ・ニジマス・金魚が飼われ、釣り・ボートが楽しめる。
泉質は酸性泉・緑ばん泉・ラジウム泉で、胃腸病・婦人病・皮膚病などに効く。


塩狩温泉の由来 「和寒今昔物語 1975年発行 藤田明郎 著」より引用

天塩の国と石狩の国の国境い、「塩」と「狩」をとっての塩狩は、かつては峻(山へんに険のつくり)地として、アイヌ達もマタルクシュ、ケネフチと称し笹や雑草すべてが活動を中止、雪の下で冬眠する冬季のみ利用する冬の交通路として利用されていた処である。
1899年鉄道が敷設され、1916年にはこの峠に信号場が設置された。上り下りの汽車は夫夫ここで一息ととのえて石狩の国へ或は天塩の国へと下っていったのであろう。
温泉発見の動機は、1921年放牧中の牛が泉源の溜水を好んで呑んだとも云われるし又逆にそこの水だけ呑まなかったので不思議に思い鑑定の結果、鉱泉と判明したとも云われている。(伊藤善弘氏談)。
発見の動機についてはあまり明確ではないが牛追う牧童の手によったことだけは明らかである。
1923年、岡貞義氏はここに湯治場を開き1925年6月には塩狩温泉として、塩狩旅館と湯治館が完成し、前者は上客を後者は湯治客を迎えたのであろう。
同温泉は、塩狩駅から旭川方面に約100メートルの地点に涌出る緑ばん泉と現浴場から国鉄線路に向って約50メートルの地点に涌出る酸性泉の二つの鉱泉によるものである。
創設当時は涌出た地点に溜水(木枠によるものであろう)を作り、浴場のボイラー地点近くに又溜水場を作って、両者を鉄管ならぬ青竹によるパイプで結び延々二百メートルの地点から緑ばん泉を引いたのである。
溜水を手押ポンプで汲み上げたと云うからその労働力は大変なものであった。当時のお湯は濁っていた(手押しポンプの為にお湯の交換に時間がかかったり、ボイラーのさびとか垢で濁っていたのであろう)が皮ふ病(ガンペとかガンベと呼ばれた)によくきいたのでガンペ温泉と呼ばれた。
施設、設備はお粗末なもので、浴槽は木枠、洗い場は木の床であった。温かいお湯を慕ってかみみずが這いずりまわっていた(伊藤善弘氏談)。
みみずとの共同入浴が興をそそってか、皮ふ病患者の評判からか1926年の塩狩駅の乗降客は約9300人をかぞえるに至った。
温泉の効用範囲については数多くあるが和寒おんどで唄われている「中でも胃腸と婦人病」とか皮ふ病にはよくきくのである。鉄道の保線に働く人たちがうるしに罹った時は緑ばん泉の涌き水をつけただけでなおったと云われている。
「我が郷和寒」は1928年5月の塩狩の模様を「塩狩駅頭車窓より、程近く新館の桜、塩狩旅館は前庭をめぐらして配する花園あり、物売る店自炊に手軽な宿もあれば、浴場はすぐに続いている。各種の主成分を含んで酸性泉である。脳神経衰弱症、ヒステリー、神経痛、ロイマチ、貧血、打撲傷、子宮病、胃腸疾患など効能顕著を以って好評を博し、常に浴客に賑わっている。旅館は設備整い、料理はうまく、もしそれを美妓を具して、月見の逍遥とでも洒落せんが、国境の秋は済んで確かに恍惚として天外に飛ぶであろう」と当時の経営者岡貞義氏は、現塩狩前庭の規模程度をイメージとして持っていたのであろう。前庭大木の多くは創設者岡氏の手によるものと云われている。この老木大木のみが塩狩温泉の半世紀以上にわたる歩みを見守り続けたもので真実を語るにふさわしいのである。


和寒音頭 (1965年公募決定)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用

1 ハアー 温泉(いでゆ)塩狩 桜に紅葉(もみじ) 渓谷(たに)の清水に 色よく映えて 招く湯の香も なつかしや
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 住みよい町よ

2 ハアー 青葉若葉の 峠をこえて 夏のなかばに 雪かと見れば あれは名産 除虫菊
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ たからの町よ

3 ハアー みのり豊かな 黄金の波を うつす湖水に テントを張れば 名残りつきない南丘
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 明るい町よ

4 ハアー 走れいなずま 飛ばせよスキー 銀のスロープ 粉雪けって 若いこだまが 呼びかわす
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 楽しい町よ

5 ハアー 町は栄える 年ごと日ごと みんな輪になれ 和寒音頭 そろう手拍子 足拍子
ソレキタ ヨーイ ヨーイトナ ホンニ 和寒よいとこ 希望の町よ


和寒小唄 (1926年頃〜)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用

和寒よいとこ好きなとこ 塩狩温泉あるところ
よろずの病に良けれども わけて胃腸と婦人病

和寒よいとこ好きなとこ ペオッペの山から金が出る
お金に困ったその時は 家族そろって砂金堀り

和寒よいとこ好きなとこ 七月土用に雪が降る
雪が降るとはそりゃ嘘よ 黄金花咲く除虫菊


和寒除虫菊宣伝歌 (1923年頃〜)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用

塩狩の峠越ゆれば 和寒村よ
広い天塩の玄関で 日本一の菊の村
花のさかりを見においで-

野も山も雲か霞か はた雪か
見まごう程に咲き揃う 色香床しき除虫菊
産地は名代の和寒村-

花の山いざ見に来やんせ 和寒村へ
色は真白に香も清き 花は国産除虫菊
効き目は偉大なダルマシヤ-


除虫菊小唄 (1923年頃〜)「和寒町史 1975年発行 和寒町 著」より引用

夏を訪ねて えぞ地をとわば トコセ
匂いこぼれて わしゃ咲きそろう
ハ チョイトサ トコ除虫菊
ヨイヤマタ ソヤリャントセ
(2節以下同じ)

咲いた揃うたよ 品浴よく揃うた
去年の今日より わしゃ待ちかねて

主を待つ間の しんきな夜は
蚊遣りともして わしゃまぎらせる

咲いたわたしは あなたのままよ
連れて行くなら アメリカまでも


Friday, June 07, 2013